青く高い空・・・ひんやりとした空気・・・・今が一番過ごしやすい季節でしょうか。
友禅は電熱器を使う仕事なので、夏はとても辛い。クーラーもいらない、南向きの窓からの自然光が手元を明るくする(ろ〜がんだからね〜)秋は、とっても省エネの季節♫
だから、仕事がはかどってはかどって!ほんまかいな!
これは、彩色するために「付下げ」の反物を張った状態です。ところどころに糸目を置いた模様が描かれていて、これから約40色の染料で色を挿してゆきます。
急きものですが、、、、気もそぞろでなかなか仕事を始められない・・・
だって、こんな本を買ってしまったのですもの!!
このブログに来てくださる方は絶対ガロを知っていますよね!それも最近のではなく創刊当時のね(笑)
わたくし・・・最近は全然漫画を読まなくなってしまいましたが、昔は相当な漫画オタク。懐かしき1970年代は、ちょっぴり難解な内容の「ガロ」のみならず、少女漫画、少年漫画を読みあさってました。
家で友禅の仕事を始めてからも、お昼休みの一時間は漫画タイム。すぐ近所に小さな本屋さんがあって、ほとんど毎日漫画週刊誌を買いに行ってました。買う本が無くなるとややエロ漫画まで(笑)
ああ、至福の時(*゚▽゚*)
その本屋さんが廃業した頃からかなぁ・・・・友禅の仕事も少なくなってパートに出たりした私は、すっかり漫画を読まなくなってしまいました。
早く急きもの仕事を片付けて、今夜は「ガロの時代」をめくって、懐かしい時代に思いを馳せてみましょうか♫
猫町ギャラリーの個展が終了して最初の日曜日は雨・・・・・歌留多と街に繰り出して、居酒屋でささやかな慰労会をする予定だったのに、雨の外出に気乗りしない様子の歌留多です。ま、、、いいか、買い物もあるし歌留多がいないほうが用事はスムーズに済ませられるし、、、ということで、一人で四条河原町の高島屋にお出かけ♪
出かける私の背に「ホワイトデーのお菓子買って来てね」と歌留多の声、「はいはいおいくつでしたっけ」と私、、「う・・・一つだけ」(笑)私としては出費が抑えられて助かりますが、バレンタインのお返しがたった一個とはちょっとかわいそう。
用事を済ませて一休みしたのはデパ地下のパンコーナーに併設している紅茶がおいしいカフェ「フォション」です。アールグレイとスコーンを注文して、ゆっくりと午後のひとときを過ごしてきました。
昔、貧しい学生だった頃の数少ない贅沢の一つが、このアールグレイを飲むことでした♪今では簡単に手に入る紅茶の種類ですが、あの頃はトワイニング社位しか手に入らなかったような???今でもこの紅茶を飲むと、昔のことが香りとともに蘇って来ます。特に思い出すのは、寮生のほとんどが帰省してしまった女子寮で、冷たいアールグレイを飲みながらジャニス・ジョプリンの「サマータイム」を聞いたこと、そして振られた感傷に・・・な〜〜〜んちゃって、、書いてて気恥ずかしくなってきたわ(笑)この話題はやめとこ。。。
さて、閑話休題、、、
先日の個展では、女子高時代に一番仲の良かった、それでいて卒業後は数回しか会わずじまいの友との40年ぶりの再会がありました。
個展の案内状は出したものの、まさか来てくれるとは思わなかった彼女がニコニコと会場に姿を見せた時、決して大げさに言ってるわけではなく、本当に時間があの頃に戻りました。同時に出た言葉は「なぜここまで会わないまま時を過ごしてしまったんでしょうね!」ということ・・・・もう懐かしくてうれしくて、昼からずっとギャラリーに引き止めて、いっぱい話をしてしまいました。来廊者があるとそちらの応対をしなければならない私でしたが、彼女はずっとニコニコ顔で待っていてくれました。
高校の三年間を同じクラスで過ごし、仲良く浪人生活も経験した彼女は、今では故郷の小さな小学校の校長先生になっていました♪大学に入ってすぐにお父さんを亡くし、五人姉妹の長女の彼女は、親戚一同から学校を辞めて農業を継げと諭されたそうです。でも教師になりたいという強い意志とお母さんや妹達の後押しもあって学業を続けてきたということ・・・女家族で協力して農業も続け、現在は下の妹達も皆教師になっていること・・・・ああ、私の家族じゃないのに、なんだか誇らしい♪
そうして時間はあっという間に過ぎ、「これから何回も会いたいので、お互い健康に気をつけて長生きしましょうねっ」と、名残を惜しみながらお別れをしました。
で、これは、、、、
私達の通っていた女子高の制服を着たリカちゃん人形です。
個展の直前、同窓会から写真入の印刷物が届きました。なんでも卒業生対象に3000体を販売するらしく・・・その案内でした。印刷物を見たときは「なんちゅうアホなことを、、、こんなんいらんわ!」と思ったのですが・・・・・友人は購入するそうで、、、私は、、、買わない、、、つもりだけど、、、もしかして、、、、えへへ。
よく晴れた風の強い春の日、真ちゃんは空に帰りました。
前回のブログに、いっぱいお悔やみの言葉をありがとうございました。それぞれにたくさんの悲しみ苦しみを心に秘めている皆様のやさしいコメントに、本当に慰められました。あと数行真ちゃんの話をさせていただいて、元の元気な(あほな?)私に戻ります〜〜〜
酒屋の跡取り息子だった真ちゃんは、農家の一人娘と恋に落ち、どちらも家を捨てられないことに悩み・・・北海道に駆け落ちしようとしたけど、東北の田舎町の駐在さんに諭され引き返し、親を説得してお婿さんに行きました。真ちゃんはここ数年こそ苦しい闘病生活だったけれど、良い家族や友人に恵まれ、楽しく充実した人生を歩んできたので、きっと安らかに天国に旅立てたと思います。またいつの日か、あちらの世界で再会したら、思い出話をいっぱい聞かせてもらいましょう。
故郷に滞在中、父母とドライブした田園には、こいのぼりがお腹に風をいっぱいに含んで青空に泳いでいました。染めの色も鮮やかな真新しいこいのぼり・・・・元気な男の子の誕生を心から祝っている気持ちが伝わって来ます。水を張った田んぼには、山桜の花びらが筏を作り、、、秋には黄金色の稲穂が実ることでしょう。
先のブログに続いて、またしてもさだまさしさんの「防人の歌」の一節を・・・・
わずかな生命のきらめきを
信じていいですか
言葉で見えない
望みといったものを
去る人があれば
来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で
歌留多が、八王子へ出張した帰りに、新横浜駅でお土産を買ってきてくれました。手渡されたのは、マッチ箱よりちょっと大きくてキャラメル箱よりは小さな赤い箱です。
「うっ、なんてささやかなお土産なんだ、、ケチ、、、、」
と、私の気持ちを読み取ったのか、「こんな小さくて250円もしたんだぞ!」と歌留多。
「に、、、にひゃくごじゅうえんて!あ〜た、きょうび250円のお土産って」
と、期待せず箱を空けたのですが、なんと、出てきたのは中味がチョコレートの小さな赤い靴。
なんてかわいいんでしょ!
小さな頃、童謡「赤い靴」が大好きでした。物悲しいメロディーを口ずさみながら、赤い靴、横浜の港、異人さん等の言葉に秘められたエキゾチシズムに憧れたっけ。あの頃は、異人さんに連れられて外国に行ったら、本当に青い目になっちゃうのかなと心配したものです。赤い靴の女の子は、結局は海を渡ることなく病気で死んでしまうのだけど、そんな悲しい事実を知るのはずっと後のこと。私が、夢見る小さなこべちゃんだった昭和30年代は、まだまだ外国旅行は大変な時代でした。それでも、いつか私も横浜から船に乗って外国に行くんだと、夢と希望で胸がはちきれそうでした。さすがに、青い目と金髪のお人形さんみたいな少女になるんだ、なんてことまでは夢想しませんでしたが(笑)
・・・・それから何年、何十年の月日が経ったことでしょうね、、、未だに外国に行ったことがない、きょうび珍しい存在になってしまった私です(笑)でも、夢は絶対叶えます!遠からず、赤い靴を履いたばーちゃんになって、イギリスに行くぞ!!!!!
チョコ食べよう・・・・(笑)
NHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」が始まりました。第一話で、若狭・小浜の懐かしい風景を目にしました。ドラマの舞台、小浜の西津地区の古い町並みが、遠い昔のまま映し出されていくのを見て、ちょっとノスタルジックな気分。ということで、今日の話題は「小浜の風」なんて気取ってみました。
もう30年以上も前の学生時代の夏休み、北区の大徳寺の寮に住んでいた頃の話です。ひっそりとした寮に残ってアルバイトに明け暮れる私を、隣室の友人がお盆の帰省の際に小浜の実家に招待してくれました。その友人の実家というのが西津の若狭塗りを生業にしている古い大きな家で、朝ドラの塗り箸職人(米倉)の家は友人宅の近所の元教師の家だそうです。私が訪ねた時、友人の父君もドラマの職人さんのように、、奥の離れで一生懸命箸を作っていました。初めての訪問で緊張していた私でしたが、、ご両親は、ドラマでも使われている語尾に「けぇ」をつける若狭弁で、気さくに話しかけてくれました。・・・海で泳ぎ、釣船に乗せてもらい、夜は、親戚、雇いの職人さん、、友人の弟とその友達、広い家がいっぱいになるほどの人と、食べきれないほどの海の幸・・・・もちろんお酒は「浜小町」&「若君」でした。父君は、お酒で赤くなった顔をニコニコさせて、上座でみんなを見つめてました。
夏の訪問は、結婚してからも夫同伴で続く・・・・・・・酒が好きな夫は、父君にとても気に入られ、「うちの娘(友人)と結婚してや〜」って、、、私はどうなるのって言うと、「うちの息子と結婚してくれたら丸くおさまる」なんて、、、楽しい会話。でもねぇ、夫は漆にはすこぶる弱く、工房も遠くからおそるおそる眺める始末、後継ぎには無理・・・ん?私は平気。友人の弟かっこいいし(笑)
その後、友人が結婚して京都を離れてしまってからは、小浜を訪ねる事もなくなってしまい、父君も数年前に亡くなってしまいました。今回のドラマで懐かしい町並みを見ていたら、あの明るい空や若狭の海が悲しいほどに懐かしく、訪ねていたのがいつも夏だったせいか、一時心の中を暑い風が吹き抜けて行きました。
画像は、父君作の塗箸です。「ちょっと塗ムラがあって納められんけぇ、もってき」と、たくさんいただきました。問屋さんによると、若狭塗は人によって模様に特徴があるそうで、一目で誰の作品か分るそうです。・・・・ということは、この模様の箸は、もう2度と作られることは無いのですね・・・・大切に使います。
友人の弟、、、家業は継がなかったけど、今では伊○忠の部長さんで、すごい出世してる。私と結婚しなくてよかったね(笑)